水上の霧
水上の霧

万葉集巻15には遣新羅使歌群といわれる145首にも及ぶ歌が収録されています。巻15の目録には

新羅に派遣された使者たちが、別れを悲しんで贈答し、また海路で心を悲しませ心中を陳べた歌。あわせて折々に口ずさんだ古歌。

とあるように、天平八年(736年)六月に出航した遣新羅使人たちが愛するものたちとの別れを惜しみ、異国に向かう旅情を詠んだ実録的な歌群となっています。

遣新羅使は翌天平九年正月二十六日に帰京しますが、大使の阿倍継麻呂は帰途に対馬で病死しました。また、新羅からは冷たくあしらわれて外交目的は果たせなかったようです。
歌群冒頭に難波を出航した際の男女の贈答歌が並んでいますが、その中のひとつ、

君が行く 海辺の宿に 霧立たば 吾が立ち嘆く 息と知りませ
作者不詳(巻15-3580)


あなたが行く海べの宿りに夜霧が立ちこめたら、それは私の嘆きの息だと、お知りください。

秋さらば 相見むものを 何しかも 霧に立つべく 嘆きしまさむ
作者不詳(巻15-3581)


秋になったら帰って来て逢えるものを。どうして霧に立つような深い嘆きをなさる必要があろう。

嘆きの息が霧になる・・

我々現代人も、立ちこめる霧の幻想的・神秘的な風景に何かしら前兆めいたものを感じることはあります。しかしながら、自分の嘆きの息が霧となり、離れた他者のいる空間を満たす」という感覚、人の感情・心情が自然現象と密接に関わりを持つという精神世界は失われてしまった感覚のように思います。万葉集を、あるいは万葉人を理解することのハードルは、実はこういうところにあるように思えます。

  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次