なのりそ考⑤-なのりその花

これまで「なのりそ」という奇妙な呼び名の植物について考察し、通説ではホンダワラが該当する海藻とされているが、それだけに限定せず近縁のアカモクも含めるべきであるという結論を導きました。
それでは、万葉集で詠まれた「なのりそ」がアカモクでもあったと仮定した場合、歌の解釈はどのように変わるのでしょうか?変わりうるのでしょうか?この考察の締めくくりとして考えてみましょう。

ホンダワラとアカモクは近縁で似ていることから、どちらであったとしても歌の解釈、あるいは印象といったものに変わりはないはずです。しかし、問題となるのは、なのりそがアカモクである可能性が高いと指摘された三重大学生物資源学研究科准教授 K先生の二つ目の理由によるものです。

ホンダワラ類の仲間は成熟すると、生殖器托という実のような部分に雌は卵、雄は精子を作るが、アカモクは成熟すると生殖器托が水面で黄金色に光って花のように見える。その様子を「なのりその花」と呼んだのではないかと言われている

なのりその花
なのりその花 photo by 三重大学大学院 藻類学研究室
アカモクの生殖器(♀)
アカモクの生殖器(♀) photo by 三重大学大学院 藻類学研究室

万葉植物を取り上げる多くの文献では、ホンダワラは種子植物ではなく花は咲かないため、この花を実際には存在しない想像上のものとし、ないことを前提にそれをおもしろがる意味で使われる(←A従来型の解釈)と説明しています。中にはホンダワラの気泡を花に例えたと説明したものも見かけますが、気泡はそれほど目立って美しいものでないため、こちらはあまり現実的ではなくこじつけみたいに感じられます。しかし、黄金色に光る生殖器托を花と例えたとすれば、万葉人は「なのりその花」を実際に見て歌に詠んだ(←B新しい解釈)ことになり、歌の印象はずいぶん違ってきます。

実際になのりその花を詠んだ二首をみてみましょう。

梓弓 引津の辺にある 莫告藻の 花咲くまでに 逢はぬ君かも
作者不詳(巻10-1930)

梓弓を引く引津のほとりの、なのりその花が咲くまで逢わないあなたよ

この歌の場合、

  • A「永遠に逢えないあなた」となるため際限のない悲しさを感じさせる歌となります。
  • B「花が咲くまでは逢えない」となり、逢えない今の悲しさを詠んだ歌となります。

海(わた)の底 沖つ玉藻の 名告藻の花 妹とわれと 此処(ここ)にしありと 莫告藻の花
柿本人麻呂歌集(巻7-1290)

海底の奥の玉藻である名告藻の花よ。妻と私とがここにいるのだと告げるな、莫告藻の花よ。

こちらは、

  • A ありもしない花に呼びかけて、「ここにいるというなよ~」と、ちょっとふざけて面白がているような明るい恋の歌となります。
  • B 二人連れ添って磯のほとりで実際の花を眺めながら「お前は‘人に言うな’の花なのだから、私たちがここにいることは誰にも告げないでね~」と呼びかけているような幸せな恋の歌となります。

随分と印象が違ってきますね。

万葉集を読む中で、我々は自然に対する万葉人の驚くべき観察眼を知らされます。現代人の持つ科学的な知識では太刀打ちできないような、生活とは切っても切れない植物への理解がありました。アカモクの生殖器托などというものは知らないまでも、それを花のように美しいと見ていたことは充分に考えられます。なのりそは本当の花は咲かないと理解した上で生殖器托を花と見なしていたとも考えられます。
万葉人がなのりその花を見ていたのか、見てはいないのか、ここで結論を導くことはできませんが、解釈の幅が広がることは万葉集を愛するものにとって好ましいことと考えます。
春の水温む頃の大潮の干潮時に、アカモクが生育する磯に足を運べば「なのりその花」に出会えるそうです。その黄金色の花を見たら、どのようなイメージが湧いてくるでしょうか?楽しみがまた増えました。
万葉集は「何ぞ何ぞ(なぞなぞ)の森」。だからおもしろい!

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