武蔵野



武蔵野は 月の入るべき 山もなし
草より出でて 草にこそ入れ
「武蔵野」という言葉から、どのような趣を思い浮かべるでしょうか。
多くの人は、クヌギやコナラの雑木林が広がる里山の風景を想像するかもしれません。今でも私の暮らす多摩地域には、ところどころにその面影が残っています。
しかし、はるか昔――平安時代の人々が抱いていた武蔵野のイメージは、現代とは少し異なるものでした。
武蔵野は けふはな焼きそ 若草の
つまもこもれり 我もこもれり
武蔵野は今日は焼かないで下さい。いとしい夫も身をひそめています。私も身をひそめて隠れています。
伊勢物語絵巻十二段(武蔵野)に登場するこの歌では、「人が隠れてしまうほど背の高い草が生い茂る場所」として武蔵野が描かれています。
京の都に暮らす人々にとって、武蔵野は実際に訪れることのない遠い異郷であり、「どこまで行っても草が茂る、果てしなく広がる草原」という、想像の中の風景でした。
その茫漠とした広がりは、都人の知的好奇心をかき立てる、エキゾチックで詩情あふれる世界でもあったのです。
冒頭に掲げた歌は江戸時代に広く親しまれたものですが、そこに表現されている情景こそ、古代の都人が思い描いた武蔵野の姿そのものといえるでしょう。
帯は果てしないススキ野原と、そこから登る月をイメージしてつくりました。



コメント