やまどり

長きこの夜を
長きこの夜を
ヤマドリ
ヤマドリ

思へども 思ひもかねつ あしひきの 山鳥の尾の 長きこの夜を
作者不詳(11-2802)


いくら物思いをしても思いは尽きない。あしひきの山鳥の尾のように長いこの夜を

2802歌には注として次の歌が添えられています。

或る本の歌に曰はく
あしひきの 山鳥の尾の しだり尾の 長々し夜を 独りかも寝む

あしひきの山鳥の尾のしだれた尾のように長々とした夜を、一人で寝るのかなあ

この歌は小倉百人一首では柿本人麿(万葉集では人麻呂)の作として良く知られていますが、万葉集では作者不詳となっています。

秋の夜長は独り寝の寂しさを抱くものには耐え難い辛さを伴うものです。独り寝の辛さは万葉のむかしもそうであったように、男女の永遠のテーマで、これまで多くの嘆きが詠われています。この歌はその代表的な歌と言えます。
歌では上三句が次の「長々し夜を」に掛かる序詞として使われています。長い長いヤマドリの尾、それと同じように長い長い夜を独り寝るのだろうか、と絶望的な心の内を詠っています。

ヤマドリはキジ科で日本固有種の留鳥です。メスは全長が約55cmほどでカラスよりも大きな体ですが、オスは尾が長いため全長が約125cmとなり、キジのように派手ではありませんが特徴のある姿をしています。しかし、ヤマドリは大変警戒心が強い鳥でなかなか人目につくことがなく野山で出会う機会は少ないようです。
また、ヤマドリの雄雌は昼間はともに寄り添うが夜は谷を隔てて寝るという言い伝えもあり、そこから「ひとり寝」の寂しさを伴うイメージも生まれました。

このようなことを踏まえると、長い長い夜をひとり寂しく恋しい人を想いながら寝る、というこの歌の、その「長い」ということの引き合いにヤマドリの尾が使われるのは、単に尾が長いからという連想だけではないことが分かります。

さて、訪問着「長きこの夜を」の主役はやまどりですが、独り寝の寂しさや様々な想いを付加するためにいくつかの万葉植物が脇役として登場します。

さねかづら
さねかづら

さねかづら(サネカズラ、ビナンカズラ)

さね葛 のちも逢はむと 夢(いめ)のみに 祈誓(うけ)ひわたりて 年は経につつ
柿本人麻呂歌集 巻11-2479


さねかづらのツルが長くのびて絡みついているように、いつかまた必ず逢おうと夢で祈っているうちに、こんなに月日がたってしまった

やまたづの葉
やまたづの葉

やまたづ(ニワトコ)

君が行き 日長くなりぬ 山たづの 迎へを往かむ 待つには待たじ
衣通王(そとほしのおほきみ) 巻2-90


あなたがおでかけになってから日かずも長く経った。山たづのように迎えに行こうか。待つにはもう待つまい

ヤブコウジ
ヤブコウジ

やまたちばな(ヤブコウジ)

あしひきの 山橘の 色に出でよ 語らひ継ぎて 逢ふこともあらむ
春日王 巻4-669


あしひきの山の橘のように、はっきりと態度に出してしまいなさい。便りをしあっていて、やがて逢えることもあるでしょう

ジャノヒゲ
ジャノヒゲ

やますげ(ジャノヒゲ)

あしひきの 山菅の根の ねもころに 止まず思はば 妹に逢はむかも
作者不詳 巻12-3053


あしひきの山菅の根のように心を尽くして絶えず思いつづけたら、妻に逢えるかなあ

ささ
ささ

ささ

小竹の葉は み山もさやに さやげども われは妹思ふ 別れ来ぬれば
柿本人麻呂 巻2-133


小竹の葉は山路にみちてざわざわと風に鳴っているが、私の心は一途に妻を思う。今や別れて来たので

きもののやまどりは後ろをふり向いていますが、視線の先、右袖の下方にはさねかづらの葉の上には小さな羽根があります。羽根は雌が残していったもので、その気配を感じた雄が思慕を募らせている趣向となっています。

脇役たちについて詳しくはブログをご覧ください。

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