なのりそ考②-万葉集に詠まれたなのりその歌

みさごゐる 磯廻(いそみ)に生(お)ふる 名乗藻(なのりそ)の
名は告(の)らしてよ 親は知るとも
山部赤人(巻3-362)


みさごのいる磯に生える名乗藻のように、名をおっしゃってくれ、親に知れたとて。

みさごは湖・河川・海岸など水辺に生息して主に魚を食べるタカ科の猛禽類の一種。万葉の時代、男が女の名前を尋ねることは求婚を意味し、それに答えて女が名を言ったならば、それは求婚を受け入れたことになります。また当時、親は恋愛の監督者で恋人同士は親に知られることを恐れました。親に知られてもよいということは、それなりの覚悟を持っての恋ということになります。男性の女性への切実な想いが感じられる歌です。

紫の 名高の浦の なのりその 磯に靡かむ 時待つわれを
作者不詳(巻7-1396)


紫の名高の浦の名告藻が、磯に靡く時を待つ私よ。

この歌は巻七の譬喩歌(思いを物にたとえた歌)で、「藻に寄せたる四首」の中のひとつです。名高の浦は和歌山県海南市名高の海岸。紫は当時は高貴な色なので「名高い」にかかる枕詞となります。歌の詠み手は男性で、意中の女性をなのりそにたとえています。沖に浮くなのりそが断ち切れて磯に打ち上げられるのを待っているのか?あるいは、遠くで揺れているなのりそが手に取れるほど近くになびいてくるのを待っているのか?なのりそのようになかなか名前を意ってもらえない(求婚を受け入れられない)もどかしさが感じられます。

梓弓 引津の辺なる 莫告藻の花
採むまでに 逢はざらめやも 莫告藻の花
柿本人麻呂歌集(巻7-1279)


梓弓を引く、引津のほとりの莫告藻の花よ。花を摘むまでは逢わないというということがあろうか。莫告藻の花よ。

五七七 五七七の歌を旋頭歌といいます。集団歌唱の色合いが濃く、五七七の片歌を男女で歌いわけて問答のようにやりとりをします。梓弓は「引く」にかかる枕詞。なのりそにはやはり男女の求婚の駆け引きが隠されているでしょう。ホンダワラは花が咲くことはありません。咲くはずのない「なのりその花」を摘むまでは逢わないことはないといっているので、いつまでも逢えることになります。

海(わた)の底 沖つ玉藻の 名告藻の花
妹とわれと 此処(ここ)にしありと 莫告藻の花
柿本人麻呂歌集(巻7-1290)


海底の奥の玉藻である名告藻の花よ。妻と私とがここにいるのだと告げるな、莫告藻の花よ。

こちらも旋頭歌です。ない花に呼びかけて、なかば知られることに興じた歌といわれます。「なのりその花」と表現される歌は三首あります。

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