月天子(がってんし)

月天子
月天子
月天子 前部分(関東巻)
月天子 前部分(関東巻)
月

「月天子」とは、インド神話において月を神格化した存在であり、のちに仏教へ取り入れられて仏法を守護する十二天の一つとされています。

あまり耳慣れない呼び名ですが、宮沢賢治は同名の詩を残しています。

月天子
私はこどものときから
いろいろな雑誌や新聞で
幾つもの月の写真を見た
その表面はでこぼこの火口で覆はれ
またそこに日が射してゐるのもはっきり見た
后そこが大へんつめたいこと
空気のないことなども習った
<中略>
盛岡測候所の私の友だちは
--ミリ径の小さな望遠鏡で
その天体を見せてくれた
亦その軌道や運転が
簡単な公式に従ふことを教へてくれた
しかもおゝ
わたくしがその天体を月天子と称しうやまふことに
遂に何等の障りもない
<中略>
しかればわたくしが月を月天子と称するとも
これは単なる擬人でない

賢治は、子どもの頃から雑誌や新聞で月の写真を見てきたこと、月面が無数のクレーターに覆われていること、そこが極めて寒く空気もない世界であることを学んだと語ります。
さらに、盛岡測候所の友人から望遠鏡で月を見せてもらい、その運行が物理学の公式に従う天体であることも理解している。
それでもなお――
自分がその天体を「月天子」と呼び、敬意を抱くことには何の支障もないのだと、賢治は力強く述べています。
つまり、月が科学的には「物質」であると知りながらも、同時に「月天子」と称して敬うべき存在であることを高らかに謳い上げているのです。

ふと空を見上げ、そこに月を見つけると、なぜだか心がふっと和らぎます。
夜の闇の中でも、その光は静かに、やさしく私たちを照らしてくれます。

この帯は、そんな月への敬意と親しみを込めて染め上げました。

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