虞美人草(ぐびじんそう)

コクリコ
コクリコ

ひなげし(雛罌粟)には「ポピー」、「アマポーラ」、「コクリコ」、「虞美人草(ぐびじんそう)」などの呼び名があります。ひとつひとつの名前は知っていたものの、それらが結びついてない方も多いのではないでしょうか。
その中でもちょっと変わった呼び名「虞美人草」について考察してみます。

ひなげしが「虞美人草(ぐびじんそう)」と呼ばれるようになった背景には、中国の歴史上の切ない悲恋の物語があります。
その由来は、紀元前200年ごろの中国、秦の滅亡後に天下を争った項羽(こうう)と劉邦(りゅうほう)の戦いにまでさかのぼります。
項羽には、虞(ぐ)という名の愛妾(一説には妃)がいました。彼女は絶世の美女であったため「虞美人」とも呼ばれていました。
ついに劉邦の軍に追い詰められた項羽は、四面から敵軍が歌う故郷・楚の歌が聞こえてくる(四面楚歌)状況に絶望します。死を悟った項羽が、別れの宴で愛馬と虞との別れを嘆いて詠んだのが、有名な「垓下の歌(がいかのうた)」です。

『垓下の歌』の書き下し文

力は山を抜き、気は世を覆う
時利あらずして騅(すい)ゆかず
騅のゆかざるを奈何(いかん)すべき
虞(ぐ)や虞や若(なんじ)を奈何せん

現代語訳

私には山を引き抜く力と世を覆う気迫があった。
今時運を失い、愛馬騅も歩もうとしない。
前に進まぬ騅をどうしたものか。
虞よ虞よお前をどうしたらよいものか。

項羽の歌に対し、虞は彼の足手まといにならぬよう、自ら命を絶つ道を選びます。
伝説では、彼女が亡くなったその場所に、翌年美しい赤い花が咲いたといわれています。人々は、「虞の魂がこの花に姿を変えたのだ」と信じ、その花を「虞美人草」と呼ぶようになりました。

鮮やかな赤色の花が彼女の流した血を連想させたのかもしれません。でも、それ以上にひなげしの花が「虞美人」の美しさを例えるものとしてふさわしかったからではないかと私には思われます。

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