コクリコ(ひなげし)
ああ阜月(さつき) 仏蘭西(フランス)の野は 火の色す
君も雛罌粟(コクリコ) われも雛罌粟
与謝野晶子
この歌は、1912年(明治45年)に晶子がフランスへ渡り、先にパリへ行っていた夫・与謝野鉄幹(寛)と再会した際に詠まれたものです。
鉄幹は日本での活動に行き詰まり、自信を喪失して渡欧していました。晶子は、5人の子どもを日本に残し、愛する夫を追って単身シベリア鉄道経由でパリへ向かいます。
5月のフランス、二人を迎えたのは、地平線まで続くような真っ赤なコクリコ(ひなげし)の群生でした。燃え上がるような赤いコクリコの花を晶子は「火の色」と表現しています。
目の前の真っ赤な花に自分たちをなぞらえているのか、あるいは周囲が赤く染まり、その映発によって自分たちの顔まで赤く染まっている光景を詠ったのか、いずれにせよ「私たち二人も、このコクリコのように情熱の炎を燃やして生きる存在だ」という、再会の喜びが感じられます。
フランスの国花でもあるコクリコは情熱・恋・はかなさを象徴する花。
帯では情熱の赤を表現するため地色にもこだわってつくりました。








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