はは(バイモ・アミガサユリ)

母とふ花
母とふ花
バイモ・アミガサユリ
バイモ・アミガサユリ

万葉表記:母

詞書(ことばがき)に
「天平勝宝七年二月に、交替して筑紫に遣わされる諸国の防人たちの歌」とある中から

時時の 花は咲けども 何すれそ 母とふ花の 咲き出来ずけむ
防人山名郡の丈部真麿 (巻20-4323)


四季折々の花は咲くけれども、どうして母という花は咲き出さないのだろうか

万葉の時代、男子には3年間の軍役がありました。防人です。外国の来襲に備え、九州沿岸などで防備、農耕にあたるのが任務です。ほとんどが東国の人々だったといいますから遠い現地まで歩いて出向くのはもとより、家族や妻子としばし別れるのはさぞ辛かったことだろうと思います。
この歌は今の静岡県出身の防人の歌です。心細さから母を思い出して詠んだのでしょう。「せめてハハが咲いたら自分はそれを母と思って頑張れるのに・・」といっているように思われます。同じ防人の歌に「父母が花であったらいいのになぁ」と歌ったものもあります。

父母も 花にもがもや 草枕 旅は行くとも 捧ごて行かむ
佐野郡丈部黒当 (巻20-4325)


父も母も花であって欲しい。草を枕の旅に行こうとも、捧げ持って行こうに

貝母は球根の形から、‘母栗(ハハクリ)’という古名がありました。3月から4月に淡い緑色の花をうつむきに咲かせます。花の内側には細かな網目の紋がありますが、派手さはなく、清楚で繊細な趣を感じます。葉先がくるりと巻いているのが可愛らしく、それでいて包み込む不思議な力も感じ取れます。花の形状から別名アミガサユリ(編笠百合)のも呼ばれます。

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