たまばはき

万葉表記:玉箒・多麻婆波伎

初春の 初子の今日の 玉ばはき 手に取るからに ゆらく玉の緒
大伴家持(巻20-4493)

新年の初子をお祝いするためにいただいた玉箒よ、手に取ってみるや、箒の先に付けられたたくさんの飾りの玉の緒がゆらゆら揺れて音をたてます。なんと美しいことか

現在でも正月七日に「七草粥」を食べる風習は残っていますが、これは平安時代から始まった「子の日の遊び」に由来します。正月初めの子の日に郊外に行楽して、摘み取った若菜を食べ、無病息災を願った宮廷の行事です。万葉集の中にも若菜を摘む歌は何首かありますが、当時このような風習があったかどうかは分かりません。
中国には皇帝が正月初子の日に天子自ら豊壌を祈願して田を耕し、皇后が蚕室を掃いて蚕神をまつる儀式がありました。これが奈良時代に日本に伝えられ、辛鍬(カラクワ)と共に玉箒を飾ることが始まりました。辛鍬は農耕の象徴、玉箒は蚕の床を掃くためのものです。
その玉箒は“コウヤボウキ”というキク科の木の落葉した後の枝を束ねてつくった箒のことで、飾られた玉箒の穂先には沢山のガラス玉がついていて、持ち手には鹿の革が巻いてあったそうです。無数の玉がゆらゆら揺れて朝日の中でキラキラしながら音をたてる様を万葉びとはどんな想いでながめたのでしょうか。正倉院の宝物のなかに当時のものが「子日目利箒(ねのひのめとぎほうき)」として残っていて、その複製品が奈良国立博物館に常設展示されているそうです。
歌は天平宝字二(758)年正月三日の初子の日、宮中への参列者に玉箒が授けられ、そのとき大伴家持がつくったもの。やはり玉箒にはいくつかの玉が飾られていたのでしょうね。

それにしてもどうして“コウヤボウキ”と呼ばれるようになったのでしょうか。
和歌山県紀伊山中に真言宗の霊場・金剛峯寺があります。高野山です。西暦816年、空海がこの地を開いて大道場とし、人間の心を惑わしそうなものすべてを本山の敷地内に植えることを禁じました。竹は筍が採れるし、竹を加工して篭、花器などがつくることができ、これらの物で利益を得ることができることから禁じられ、高野山には竹がありませんでした。竹箒の代わりにこの植物の枝を束ね“箒”をつくったことが“高野箒”として広まる由来となりました。
コウヤボウキでつくる箒は今ではあまり見かけませんが、私の幼い頃はまだ箒として現役でした。茨城の田舎では“ホウキグサ”と呼ばれ、冬場のアルバイトで一握り5円(現在の50円位か)くらいで毎年買いにくる箒屋に売っていたそうです。
9~10月にかわいい花を咲かせます。反り返った小さな花弁が本当に可愛らしいです。

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