あかねとむらさき

あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る
額田王(巻1-20)

紫草の生えた野を、あっちに行ったりこっちに行ったりしながらそんなことをなさって。野の番人に見られてしまうではないですか、あなたが私に袖を振るのを

それに対し大海人皇子が返した歌

紫草の にほへる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに 我恋ひめやも
大海人皇子(巻1-21)

紫草の紫色のように美しいあなたのことを憎いと思っているとしたら、どうして私はあなたのことをこんなにも恋しく思うのでしょうか。あなたは恋をしてはいけない人妻だというのに

おそらく、万葉集の中でいちばん人気があり、よく知られている歌です。

詠まれたのは、古代日本史において最もドラマチックで、大河ドラマにもなりそうな時代。薬狩りがとり行われた穏やかな万葉の風が吹く五月のとある一日です。

額田王(ぬかたのおおきみ)は早くに、天智天皇の弟である大海皇子(おおあまのみこ)の妃となり、十市皇女(とおちのひめみこ)を儲けた仲でしたが、天智天皇の横恋慕にあい、いつしか夫と別れ、天智天皇の後宮に入ります。しかし、心はなお大海皇子にあったようです。

天智天皇が催した薬狩りには額田王や大海人皇子たちも随行しました。場所は琵琶湖近くの蒲生野です。そこを「紫野」と呼んだのは、染料や薬用に使う紫草の群生地であったからです。そういう大切な丘陵には一般人の立入を禁止する標が立ててあります。だから「標野」ともいいます。男たちは馬で鹿の角をとり、女たちは薬草や花を摘んで遊びます。額田王がふと見ると、大海人皇子が自分に向かって遠くから袖を振っているではありませんか。袖を振るという行為には、実は呪術的な意味がありました。万葉の時代、別れを惜しんだり、愛情を示したりするために、袖を振ったのです。「紫野行き、標野行き」と繰り返していますから、場所が移っても袖を何度も振ったのでしょう。しかし、番人がいます。「標野」を見張る衛兵か、あるいは天智天皇のことか、それが「野守」です。「いけません、野守が見るではありませんか」

短い歌のやりとりですが、背景にはこんなドラマが隠れています。その後、この兄弟は対立し、大海皇子は天智天皇の太子・大友皇子と戦います。徳川家康を総大将とする東軍と、石田三成を中心とする西軍が戦った天下分け目の大合戦から遡ること千年前、場所も同じ、関ヶ原で古代最大の動乱・壬申の乱が起こるのです。勝った大海人皇子はその翌年に即位し天武天皇となります。

帯では、額田王をあかね、大海皇子を紫草にたとえました。

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