梅菜幻郷(うめなげんぎょう)
梅菜幻郷(うめなげんぎょう)
ウメ
ウメ

万葉表記:梅、宇米、烏梅、汗米、宇梅、有米、干梅

わが園に 梅の花散る ひさかたの 天より雪の 流れ来るかも
大伴旅人(巻5-822)


わが家の庭の梅が花びらを散らしている。まるで空から雪が流れてくるようにうつくしい

梅は西暦650~700年頃、日本に渡来しました。時は大化改新の大クーデターの後、額田王が華やかに歌を読み、壬申の乱で大海人皇子が勝利し、持統天皇が「春過て・・・」をよんだころにあたります。
激動の時代、梅は、唐から様々な新しい文化が伝来する中の一つでした。梅は当時の流行になり万葉集には萩の142首に次ぐ122首が載せられています。
天平二(730)年正月十三日(陽暦2月8日)に当時太宰府長官大伴旅人邸で梅花の宴が催され、集中にも32首が収められています。上の歌はそのとき旅人が詠んだものです。梅をよんだ歌は中国の影響を強く受けた大伴旅人に関係するものが多く、そこから察すると、文化人や貴族達のあいだの熱狂的な流行だったのかもしれません。
梅は陽に近い高い位置にある花枝は天を向き、直線的な力強さを感じます。それに反し、下の方は勢いこそないものの、長きに渡り花をつけてきた枝の形に趣、風格を感じます。特に屈曲し苔むした古木にはなんとも言えぬ味わいがあり、人もかくのように歳をとりたいと思います。
梅には「好文木」という異名があります。中国において文学が盛んなときは、梅は花の色、匂いがいっそう深くなり、文学が廃すると色合いも匂いも悪くなるといわれたことによります。

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