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万葉
月と梅の花
- 2012-04-01 (日)
- 作品づくりの備忘録として | 私の万葉集
今年も梅の季節が終わろうとしていますね。開花は遅れたものの、寒さが続いたおかげで例年よりも長く花が楽しめたように思います。
さて、梅は万葉集に122首登場するようですが、その中にうっとりしてしまうような素敵な歌があります。
ひさかたの 月夜を清み 梅の花 心開けて 我が思へる君
紀小鹿女郎(巻8-1661)(空遠くまで輝く月夜が清らかなので、夜開く梅の花のように心も晴れ晴れと、私がお慕いするあなたよ)
澄み渡った夜の空気に漂う梅の香。清らかな月光にそっと照らされて開いた梅の花から届くものです。そんな梅の花のように自分の心も清らかに開かれて、あなたをお慕いしています。こんなことを言われた男性は嬉しいでしょうね…。
この歌のように、素直な作者の心がダイレクトに伝わってくるところに万葉集の面白さ、魅力を感じます。
この歌は万葉研究の第一人者で国文学者の中西進先生も、万葉集の好きな歌十首に数えられたものです。
以前、落花する梅を題材に「梅菜幻想」というきものをつくりましたが、今度はこの歌をモチーフに夜の梅を表現してみたいと考えています。
※写真は梅の夜景と月、それぞれ別の写真をもとにつくった合成写真です。今年は残念ながら満月下で梅の花を見ることができませんでした。次の満月は4/7です。
黄葉(もみぢば)
- 2011-12-07 (水)
- 日常の言の葉
いつも目にしている玉川上水の風景。葉っぱが黄色く色づきました。
‘もみじ’は漢字で書くと「紅葉」。でもこれは平安以降のことで、万葉の時代はもっぱら「黄葉」と書かれていました。では、万葉の時代は紅く色づく木は少なかったのでしょうか?
日本はカエデ類が豊富な国だといわれています。おそらく当時もそう変わりはないはず。もしかすると黄変するもみじを美しく思う気持ちが強かったのかもしれませんね。
“黄葉(もみぢば)の”という言葉は「移り」「過ぎ」「あけ」にかかる枕詞です。
見れど飽かず いましし君が 黄葉の うつりい行けば 悲しくもあるか
余明軍(巻3-459)いつまでも見飽きずいらしたあなたが黄葉のように移ろい去っていったので、なんと悲しいことよ
これは失恋の歌ではありません。大伴旅人がなくなったとき、彼に仕えていた役人、余明軍が詠んだ悲しみの歌です。
「移ろふ」というのは、どこか「無常」にも結びつくような、きわめて日本的な心のありようだと思います。
黄葉を見ると日本人は、知らぬうちにそんな想いを起こさせられるのでしょう。
とりよろふの黄葉はこちら
珠衣シリーズ「黄葉の」
たまぼうき
東京都府中市にある浅間山公園で「たまぼうき」の群生を見つけました。
花は小さいけれどリボンみたいでとっても可愛いのです。
現代名は「コウヤボウキ」
実はこの植物、養蚕に関係があるのですが、知っている人は少ないかもしれません。
詳細はこちらをご覧ください。
とりよろふ 玉箒(コウヤボウキ)
さねかづら
さねかづらの実が赤く熟しました。
いけばななどに使ったら趣があると思いませんか。
夏には可愛い花を咲かせます。
さね葛 後も逢はむと 夢のみに うけひわたりて 年は経につつ
柿本人麻呂歌集(巻11-2479)後になって逢おうと、今は夢だけに祈り続けて年がたってしまうことだ。
恋しい人に逢いたいと夢の中で約束するばかりでなかなか実現しない、実らぬ片思いを嘆いた歌です。
さねかづらはちょっと暗めの山地に自生するつる植物。
分かれた蔓が長く伸びてまた先で出会うことから「会う」「来る」の枕詞に使われます。
別名は「ビナンカズラ(美男蔓)」。これは樹枝に粘液を含み、昔は水に浸出して頭髪を整える整髪料としたことからついたものです。
こちらは、とりよろふの帯
紬地に染めています。
桂の黄葉
この季節、黄色く色づいた桂の葉っぱは綺麗です。写真は枝垂れ桂。
樹容がよく、風格がある樹ですが、葉っぱはハート型をしていて可愛らしい印象をもてます。
黄葉(もみじ)する 時になるらし 月人(つきひと)の 桂の枝の 色づく見れば
作者不詳(巻10-2202)
木々が黄葉する時になったらしい。月の男がかざす桂の枝が色づくのをみると。
この歌は「月の内の楓(かつら)」という伝説の樹を詠んだものです。
高さが五百丈あるといわれる月の桂。
秋の冴えた月光はその葉が美しく色づいたからなのだと見たのでしょう。
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