初日(17日)もだいぶお日様が西に移動して、そろそろ夕暮れを迎える時間となりました。自転車は藤原宮跡から急ぎ南へ・・・
⑤ふたたび飛鳥へ
甘樫丘(あまかしのおか)が見えてきました。今日中に更にいくつかの遺跡をみて、夕暮れはこの丘に登って明日香を見下ろしたい。旅初日のクライマックスです。
⑥飛鳥寺跡、そして遺跡めぐり
甘樫丘の東側、現在の安居院には日本最古の仏像、釈迦如来坐像(国重文)があり、飛鳥大仏と呼ばれて親しまれています。この地は飛鳥寺があったところです。げんげの花が綺麗でした。
飛鳥寺は蘇我馬子が創建した法興寺の後身で、塔を中心に3つの金堂が並ぶ、日本初の本格寺院でした。718年に平城京に移転し、元興寺として今も残ります。
釈迦如来坐像はおそらく聖徳太子も見たのでしょうね。
安居院のすぐ西に隣接して「蘇我入鹿の首塚」があります。
乙巳の変で中大兄皇子と中臣鎌足によって暗殺された入鹿の首が飛んで落ちた場所と伝えられます。かつて蘇我蝦夷・入鹿の邸宅があった甘樫丘を寂しく見ているようでした。
首塚を後にして万葉文化館まで戻り「酒船石」を見ました。
刻まれた幾何学的な模様は何を意味するのでしょうか?
さらに、飛鳥板蓋宮跡伝承地へ。
ここは首塚のところで触れた、乙巳の変の舞台となった場所。
大化改新、古代の大クーデターの起こったところです。
645年、中大兄皇子と中臣鎌足によって時代は大きく変わりました。
中大兄皇子にまつわる遺跡をもう一つ。飛鳥水落遺跡です。
ここは、660年、中大兄皇子が日本で初めて水時計をつくって人々に時刻を知らせた建物があったところです。
⑦甘樫丘へ
さて、ちょうどいい具合に日が傾いてきました。
一日目の最後は甘樫丘から夕暮れの飛鳥を眺めることとしましょう。
飛鳥水落遺跡からほど近い場所に甘樫丘展望台に登る山道があります。展望台からの眺めは素晴らしく、飛鳥や大和三山を一望することができます。
644年11月、権力を強める蘇我蝦夷・入鹿親子は甘樫丘に柵をめぐらし防御をかためた邸宅を築いて「上の宮門」「谷の宮門」と称しました。このようなことが、のちの大化改新に繋がるプロローグとなったのでしょう。
夕陽が畝傍山、そして遠く二上山のうえに落ちようとしています。
うつそみの 人にある我れや 明日よりは 二上山(ふたかみやま)を 弟背(いろせ)と我が見む
大伯皇女(巻2-165)
(この世に生きている私は、明日からは二上山を弟だと思って見ることでしょう)
大津皇子が非業の最期を遂げたときに大伯皇女が詠んだ歌です。天武天皇の第3皇子である大津皇子は謀反の疑いで処刑されました。二人は血を分けた姉弟です。
二上山には大津皇子のお墓があります。
この地からは歴史の重たさが伝わってきます。
以上、初日の旅行記はおしまい
その4 ~2日目 飛鳥の遺跡めぐり~につづく
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