③飛鳥資料館~天の香具山
飛鳥資料館を出て、私は大きく北に向かうことにしました。
この旅の大きな目的の一つ、「天の香具山」にまずは登り立つためです。
資料館を西に向かい、雷の信号を北に向かうとそこは飛鳥の古京から藤原京の世界へと移り変わります。そして、その信号の近くに雷丘がありました。
柿本人麻呂 天皇、雷丘に出でますときの歌
大君は 神にしませば 天雲の 雷の上に 庵りせるかも(巻3-235)
の舞台です。もっと大きな丘を想像していたので、ちょっと拍子抜けしました。
さて、雷丘を北に向かうと、いよいよ天の香具山が見えてきます。
標高152mで、大和三山(香具山、畝傍山、耳成山)の中でも最も神聖とされる天の香具山は、山というよりは丘という趣でした。
天岩戸神社から登山入口に行くと・・・ありました、ありました。舒明天皇国見の歌の歌碑です。
大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち国見をすれば 国原は 煙立ち立つ 海原は かまめ立ち立つうまし国ぞ 蜻蛉島 大和の国 (巻1-2)
(大和にはたくさんの山があるが、とりわけ立派に整っていている天の香具山に登って国を見渡せば、国原からはあちらこちらから煙が立ち上がり、海原からは鴎が飛び立っている。本当に良い国だ、秋津島の大和の国は)
「とりよろふ」というアトリエ名はこの歌から生まれました。ここが自分の出発点であり、聖地ということになります。
152mとはいえ、登ってみると少し息が切れました。山頂は緑に覆われた静かなところです。
1370年ほど前、舒明天皇がここから国見をしたときは、もっと見晴らしが良かったのだろうか? 「とりよろふ天の香具山」は今と変わらない姿であったろうか? ベンチに座り、感慨にふけりながら、しばし心地よい万葉の光と風を楽しみました。
トカゲが一匹目の前に現れて、しばらくこちらの様子をうかがっていましたが・・・あれは何かの化身だったのかしらん。精霊たちが集まる山です。自然にそんなことを考えてしまうのですから不思議です。
香具山神社へ降りる道は思ったより急で、杜の奥深さを感じました。
④天の香具山~藤原京
香具山を降りて西へ向かうと開けた地が広がります。藤原宮跡です。
694年、天武天皇の意志を継いだ持統天皇が遷都した本格的な都城で、唐の長安を模してつくられました。
まだ発掘調査の行われているところもありました。
そして、天の香具山
持統天皇の名歌を思い出します。
春過ぎて 夏来るらし 白栲の 衣干したり 天の香具山 (巻1-28)
女帝の片腕、太政大臣、壬申の乱の功労者である高市皇子が薨去し、長い殯(もがり)が終わった初夏の日に、舎人たちは白い麻の衣を乾しました。高市皇子の邸宅は香具山の麓にあったのです。
叙景歌として親しまれるこの歌の陰には持統天皇の深い悲しみが隠されています。
大極殿跡の南東に高所池という灌漑用の池があります。ここから望む天の香具山は舒明天皇の国見の歌が偲ばれていい感じです。
「天から降ってきた山」という伝承の残る天の香具山。
ここがなぜ特別な聖地であり続けたのか?
さして高くないという事実が、そこにはきっと「何か」が「ある」ということの証拠であるように思われてなりません。
その3 ~ふたたび飛鳥へ~ につづく
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