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飛鳥・奈良紀行
飛鳥・奈良紀行-その3
初日(17日)もだいぶお日様が西に移動して、そろそろ夕暮れを迎える時間となりました。自転車は藤原宮跡から急ぎ南へ・・・
⑤ふたたび飛鳥へ
甘樫丘(あまかしのおか)が見えてきました。今日中に更にいくつかの遺跡をみて、夕暮れはこの丘に登って明日香を見下ろしたい。旅初日のクライマックスです。
⑥飛鳥寺跡、そして遺跡めぐり
甘樫丘の東側、現在の安居院には日本最古の仏像、釈迦如来坐像(国重文)があり、飛鳥大仏と呼ばれて親しまれています。この地は飛鳥寺があったところです。げんげの花が綺麗でした。
飛鳥寺は蘇我馬子が創建した法興寺の後身で、塔を中心に3つの金堂が並ぶ、日本初の本格寺院でした。718年に平城京に移転し、元興寺として今も残ります。
釈迦如来坐像はおそらく聖徳太子も見たのでしょうね。
安居院のすぐ西に隣接して「蘇我入鹿の首塚」があります。
乙巳の変で中大兄皇子と中臣鎌足によって暗殺された入鹿の首が飛んで落ちた場所と伝えられます。かつて蘇我蝦夷・入鹿の邸宅があった甘樫丘を寂しく見ているようでした。
首塚を後にして万葉文化館まで戻り「酒船石」を見ました。
刻まれた幾何学的な模様は何を意味するのでしょうか?
さらに、飛鳥板蓋宮跡伝承地へ。
ここは首塚のところで触れた、乙巳の変の舞台となった場所。
大化改新、古代の大クーデターの起こったところです。
645年、中大兄皇子と中臣鎌足によって時代は大きく変わりました。
中大兄皇子にまつわる遺跡をもう一つ。飛鳥水落遺跡です。
ここは、660年、中大兄皇子が日本で初めて水時計をつくって人々に時刻を知らせた建物があったところです。
⑦甘樫丘へ
さて、ちょうどいい具合に日が傾いてきました。
一日目の最後は甘樫丘から夕暮れの飛鳥を眺めることとしましょう。
飛鳥水落遺跡からほど近い場所に甘樫丘展望台に登る山道があります。展望台からの眺めは素晴らしく、飛鳥や大和三山を一望することができます。
644年11月、権力を強める蘇我蝦夷・入鹿親子は甘樫丘に柵をめぐらし防御をかためた邸宅を築いて「上の宮門」「谷の宮門」と称しました。このようなことが、のちの大化改新に繋がるプロローグとなったのでしょう。
夕陽が畝傍山、そして遠く二上山のうえに落ちようとしています。
うつそみの 人にある我れや 明日よりは 二上山(ふたかみやま)を 弟背(いろせ)と我が見む
大伯皇女(巻2-165)
(この世に生きている私は、明日からは二上山を弟だと思って見ることでしょう)
大津皇子が非業の最期を遂げたときに大伯皇女が詠んだ歌です。天武天皇の第3皇子である大津皇子は謀反の疑いで処刑されました。二人は血を分けた姉弟です。
二上山には大津皇子のお墓があります。
この地からは歴史の重たさが伝わってきます。
以上、初日の旅行記はおしまい
その4 ~2日目 飛鳥の遺跡めぐり~につづく
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飛鳥・奈良紀行-その2
③飛鳥資料館~天の香具山
飛鳥資料館を出て、私は大きく北に向かうことにしました。
この旅の大きな目的の一つ、「天の香具山」にまずは登り立つためです。
資料館を西に向かい、雷の信号を北に向かうとそこは飛鳥の古京から藤原京の世界へと移り変わります。そして、その信号の近くに雷丘がありました。
柿本人麻呂 天皇、雷丘に出でますときの歌
大君は 神にしませば 天雲の 雷の上に 庵りせるかも(巻3-235)
の舞台です。もっと大きな丘を想像していたので、ちょっと拍子抜けしました。
さて、雷丘を北に向かうと、いよいよ天の香具山が見えてきます。
標高152mで、大和三山(香具山、畝傍山、耳成山)の中でも最も神聖とされる天の香具山は、山というよりは丘という趣でした。
天岩戸神社から登山入口に行くと・・・ありました、ありました。舒明天皇国見の歌の歌碑です。
大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち国見をすれば 国原は 煙立ち立つ 海原は かまめ立ち立つうまし国ぞ 蜻蛉島 大和の国 (巻1-2)
(大和にはたくさんの山があるが、とりわけ立派に整っていている天の香具山に登って国を見渡せば、国原からはあちらこちらから煙が立ち上がり、海原からは鴎が飛び立っている。本当に良い国だ、秋津島の大和の国は)
「とりよろふ」というアトリエ名はこの歌から生まれました。ここが自分の出発点であり、聖地ということになります。
152mとはいえ、登ってみると少し息が切れました。山頂は緑に覆われた静かなところです。
1370年ほど前、舒明天皇がここから国見をしたときは、もっと見晴らしが良かったのだろうか? 「とりよろふ天の香具山」は今と変わらない姿であったろうか? ベンチに座り、感慨にふけりながら、しばし心地よい万葉の光と風を楽しみました。
トカゲが一匹目の前に現れて、しばらくこちらの様子をうかがっていましたが・・・あれは何かの化身だったのかしらん。精霊たちが集まる山です。自然にそんなことを考えてしまうのですから不思議です。
香具山神社へ降りる道は思ったより急で、杜の奥深さを感じました。
④天の香具山~藤原京
香具山を降りて西へ向かうと開けた地が広がります。藤原宮跡です。
694年、天武天皇の意志を継いだ持統天皇が遷都した本格的な都城で、唐の長安を模してつくられました。
まだ発掘調査の行われているところもありました。
そして、天の香具山
持統天皇の名歌を思い出します。
春過ぎて 夏来るらし 白栲の 衣干したり 天の香具山 (巻1-28)
女帝の片腕、太政大臣、壬申の乱の功労者である高市皇子が薨去し、長い殯(もがり)が終わった初夏の日に、舎人たちは白い麻の衣を乾しました。高市皇子の邸宅は香具山の麓にあったのです。
叙景歌として親しまれるこの歌の陰には持統天皇の深い悲しみが隠されています。
大極殿跡の南東に高所池という灌漑用の池があります。ここから望む天の香具山は舒明天皇の国見の歌が偲ばれていい感じです。
「天から降ってきた山」という伝承の残る天の香具山。
ここがなぜ特別な聖地であり続けたのか?
さして高くないという事実が、そこにはきっと「何か」が「ある」ということの証拠であるように思われてなりません。
その3 ~ふたたび飛鳥へ~ につづく
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飛鳥・奈良紀行-その1
奈良県立万葉文化館での打ち合わせを兼ねて、万葉のふるさとである飛鳥を、そして平城遷都1300年祭に沸く平城宮跡会場をあちこち巡ってきました。初めて訪れる飛鳥の地は、とりよろふにとっての出発点です。そしてそこは深い深い歴史とロマンが横たわっているのを肌で感じられる聖地でした。できるだけ多くの遺跡を巡りたいのでレンタサイクルを使うことにしましたが、天気にも恵まれ、最高の旅となりました。
これから少しずつこの旅の報告をしたいと思いますので、どうぞしばらくお付き合いください。
①石川池~万葉文化館
まず降り立ったのは橿原神宮前駅。万葉文化館に向かって東へ向かうと、間もなく石川池があります。
古くは「剣池」と呼ばれていて、池の東側に孝元天皇陵があります。歩いて登ることができます。
孝元天皇は『古事記』『日本書紀』に第8代の天皇と記さていて、在位が紀元前214年ごろといいますが・・・ほんとですか!?
石川池から少し南に向かうと、そこは柿本人麻呂が妻を亡くしたときに詠んだ長歌「天飛ぶや 軽の道は 我妹子が・・・(巻2-207)」の舞台となった軽の市があったあたりです。
石川池をあとにして万葉の花ごろも展の会場となる「万葉文化館」に到着。
この立派な建築物の下にも歴史のロマンが眠っています。
金・銀・ガラスなどを加工する工房や銅や鉄を鋳造する工房の跡(飛鳥池工房遺跡)が発見されたのです。まだ加工途中の富本銭も見つかり、それまで最も古いとされてきた和同開珎より20年も前に、この地で貨幣が造られていたことが分かりました。
②万葉文化館~飛鳥資料館
万葉文化館での打ち合わせも終了し、キトラ古墳壁画「四神降臨」特別公開を見るため北進して飛鳥資料館へ。
玄武、青竜、白虎、朱雀の実物を見ることができました。
筆跡からそれを描いた人の様子が感じられ、とても1300年以上の年月が経っているとは思えません。鮮やかな色彩は当時の文化の華やかさが伝わってきます。
石室の天井には「天文図」が描かれていますが、残念ながらこちらは公開されていませんでした。楽しみにしていたので残念です。
その2 ~雷丘から天の香具山へ~につづく
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